『凄い』を考える
みなさん、こんばんは。
前回の『考える』を考えるから、今回は『凄い』ということを考えてみたいと思います(笑)
よく、日常生活の中で、口にすれば耳にもするのではないでしょうか。
しかし、そのたびに直感的に『凄い』と思ったことは、果たしてあなたにとって
何が凄かったのでしょう。
あなたが『凄い』と思ったとき
その都度、あまりよく考えないで見過ごされている時があるのではないでしょうか。
ただなんとなく、言われた相手も「そうなんだろうな」くらいの感覚ではいると思います。
しかし、時には具体性に欠けると、人は不信に感じたりあなたとの会話には興味を抱いてくれなかったりもするのです。
「この人、本当に私の話をきいてくれていたんだろうか?」など思ったりすることもあるでしょう。
逆にピンポイントで言われたりすると、この人はきちんと見てくれているし、分かってくれているといった感情を持ち、嬉しい気持ちにもなります。
そもそも、どういったときに『凄い』という単純な言葉が出るのでしょうか、あなたに何があったのでしょうか(笑)
それは、多くの人はその凄いと思った相手(又はその話の対象の人物等)に対して、自分又は自分の周りにいる人達と比べて、そういった言葉になると思うのです。
その聞いた話の体験を想像し、「自分にはこういったことが真似できないな」「普通の人とはここが違う」などの感情を持つと思うのです。
しかしよく考えると、私が強く思うのは、その自分と比較したときの差は、できるかどうかの問題ではなかったということです。
それは「やったかどうか」、これに尽きると思うのです。
つまりは、この『凄い』といった感情を相手に抱くのは、そこまでしてやったという「情熱」です。
そして大事なのは、ただやっただけではなく、あなたがいかに情熱を持ってやり続けたかといったことも重要になります。
一見、無駄だと思えるようなことでも、続けていくうちに、あなたにしかできない、価値あるものに変わるのだと思います。
やるかやらないか、簡単に聞こえてしまいますが、やった時の『凄さ』は相手に感動を与え、何よりも相手にも、あなたにとっても価値あるものに変わるのではないでしょうか。