「慣れ」とは人間が生きていくための最大の防衛機能であり最大の武器なのだ
こんばんは。
「慣れ」という言葉を聞いて、あなたはどう感じますか?
「慣れ」とは怖いものだと悪いイメージを持ちますか?
それとも
「慣れ」さえすれば、怖くないよね。と良く聞こえますか?
私は、「自分にとって幸せを感じる時は?」と聞かれると、よく「寝ているとき」といったことを口にします。(笑)
とりわけ、睡眠程大事なものはないんじゃないかって程思うこともあります。
そんな寝るのが大好きな私が、今日、普段といつも通り、朝の6時半に起きた時に思ったのです。
「ほんと慣れって、すごいよな!こんなクソ寒い真冬の朝に、よくもまあ、体は見事に起き上れますな」と、自分で自分を褒めたくなりました。(笑)
というわけで、私も上記の問いで言うと後者になるのですが、今回この「慣れ」についてふと、思ったことを書いてみたいと思います。
「慣れ」=「適応能力」
私は昔ながら、生き物や動物が好きでよくテレビや図鑑をみていました。そこでは毒を持った生物や、とげや針などを持った生物、様々な生物が多く存在しています。
これらは、独自に自分の身を敵から守るために発達し、生まれ持ったもの、つまりその時の環境を生き抜くために、往々にして身につけた能力だと思うのです。
これらや、私の今日の朝の体験でも、等しく「慣れ」とは生きる為の防衛的なものであり、その時の環境に適応させるためのものであるという、一つの考えが頭に浮かび上がりました。
しかし、同時にこの「慣れ」というものを最大限自分が活かすことができれば、とても強力な武器にもなるのだと思ったのです。
「慣れ」=当たり前
私たちは普段、生きる為や何か将来にしたいことを成し遂げるために、生活し仕事もしています。そして同時に、より、大きく成長したいとも思っていると思います。
しかし成長とは痛みや苦痛を伴うものであり、成長する為には何かしらの犠牲が必要になるのです。
例えば、この知識を得たいため勉強し資格もとらないといけないようであれば、その分、勉強するために何かをやめる時間も決めていかなければなりません。
我慢は人に一定のストレスを与えます。
このように、自分が成長してくためにはストレスを伴い、辛い状況を作ってしまうのです。
しかし不思議なことに、時が立つにつれ、次第にそういったマストな状況が当たり前に思えてしまうのです。
これが「慣れ」というものであり、この「慣れ」はきつい、嫌だ、辛いといった感情を殺してしまいます。
そしてその状況にいる自分が当たり前になるのです。
この当たり前の状況を作る「慣れ」は人生でも大きな武器だとも思います。
この武器を使いこなせば大きな武器になると思いませんか?
使い方次第で、大きく自分の人生は変わると思うようになりませんか?
例えば、人に尽くすことが当たりまえ、人の為に自分を犠牲にするのも当たりまえ。
勉強するのが当たりまえ。
という状況が当たり前になると、嫌だといった感情はもう出ないのです。
何か新しいことを始めると、きついし怖いのは当たり前です。
しかし、すべてを当たり前に感じることができれば、怖さもなくなり、なんだか身軽になれた気になれませんか?
自由に生きることはそういう気持ちを持つ事も大事だと思うのです。
やりたいことのために、頑張ろうとしなくていいのです。
やりたいから、やるのが当たり前、当たり前だから怖いモノなどありません。
「このぐらいでいっかー」は絶対に何をしてもそのレベルです。
自分の当たり前レベルを上げることが、結果的に自分を大きく成長させる武器になります。
人生は30000日とはよく言いますが、あなたはこれまで何日つかいましたか?
人生、悔いなく攻めの当たり前で突き進んで行きましょう!
ありがとうございました。